2011年07月19日

プロジェクトの「ユルさ」について

7/15〜18の4日間、東京のアートスペース路地と人の
プロジェクト「販女の家」が沖縄にやってきました。
詳細はこちらを。

作家の阪田清子さんの新しいアトリエがメインの会場として、
期間中は特別オープンしていました。
前島アートセンターの栄町スペースがなくなった直後ということもあって、
こういったいろんな人がゆるくあつまれる自由な場はひとつの選択肢としてあったほうがいいなあと。
前島なくなったら、どうするんだろう、、と思ったりしていたけど、
必要であればぽこっと生まれたりするんですね。

そのイベントでは昔栄町のスペースで開邦高校時代にグループ展をやった女の子たちが
毎日手伝ってくれました。私は紹介しただけで毎日顔もだせてないので
ちゃんと楽しめていたのかちょっと気になりつつ。
こういう場では、自分自身で楽しみを見つけるしかないのですが、
彼女たちに何かがあったことを祈ります。

その彼女たちが県立美術館の県民ギャラリーにて、8月グループ展を開催。
8/9火〜8/14日の一週間です。お見逃しなく。

さて、路地と人の行商プロジェクトに戻ります。
各地を転々としたりするアートプロジェクトは全国でいろんな形で盛んに行われていますが
このようなプロジェクトを持ってくる側の意図として
場の構築や人と人との媒介が(たとえかなりユルい状態でも)あるとしたら、
それを受け入れるこちらとしては、本気でその場のユルさに参加しないといけないと
思ったのでした。

なんというか、忙しくてしっかり参加できないこと自体の自分の
スケジュールのたて方うんぬんもそうだけど、
外からものを運んで来る人はそれの展開や採算合わせに必死だし、
日常生活の中で忙殺されながらもそこに参加する人との
温度差というか、そういうものをそのままにしておくと、面白いことは起こらないし
そして多くの場合、受け入れる側はだまってしまう。聞こえない声の方が圧倒的に多い。
そして誰かが声を発していない、ということに隣の人は気づいていたりする。
けれども言わないということは何かを溜め込むことになる。
そこで、発言をすることで内と外というような二項対立を超えるのではなく、
それが混じり合った中でその状態をそのままみつめるもう1つの漂う視点のような
そういうものを一緒に獲得したいと思ったのです。

だからそういう意味では結局本気で参加しないといけないし、
ユルい参加なんてことはありえないのだと思ったのでした。本気のユルさ。


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Posted by cimarcus at 18:43│Comments(0)日々
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